'94。アメリカ。監督・原案・脚本・出演までクェンティン・タランティーノ。監督第二弾。前作『レザボア・ドックス』でなりもの入りの映画界デビューした彼は、この作品でアメリカ映画嫌いのカンヌ映画祭でグランプリを獲得してしまう。Plotは基本的にはオムニバス風に見えるのだけどその様々なエピソードがくだらない所で縦横無尽に交錯して展開するので説明しようがない。
映画オタクが作った映画史上最高のB級映画とはまさにこの映画のこと。監督クェンティン・タランティーノは映画好きをすでに通り越して普通の人が話したらただの変人映画オタクにしか見えないほどの映画馬鹿。だからこそ『パルプ・フィクション』はすごくチープで面白い。彼のやりたい世界がわからなくても十分面白いが、彼のオタク趣味につき合って彼のやりたいことが理解できればもっと面白い。だって、彼は本当に自分が面白いと思ったことしか映画にしてないのだから。映画オタクだからこそ人一倍映画を良く知っていて、だからこそブッ飛んでいるけどタランティーノだなぁという映画世界が出来上っちゃうの。
タランティーノは日本のヤクザ映画が好き。深作 欣次が好き。桃太郎侍が好き。だから時代劇が好きな人には結構はまる要素はそこら中に散らばっています。例えば、映画の中でサミュエル・L・ジャクソン(僕の好きな俳優の一人。)が必ず銃をブッぱなす時には長々と聖書を引用してから人を殺すのだけど、それは桃太郎侍の「ひとーつ、人世の生き血をすすり…」の節回しをどうしてもやりたくてそうなっちゃったとか、ブルース・ウィルスに日本刀を持たせて立ち回りをやらせたり(ちなみに映画のブルース・ウィルスは左右逆に日本刀を持ってしまっています。だれも日本刀の使い方を知らなかったのねぇ。)とか完全に彼の趣味の世界なのです。バカバカしいぐらいに馬鹿です。
『パルプ・フィクション』とはそのそもくだらないB級な話って意味だから、内容は本当にくだらない。色々な映画のパロディ(タランティーノって本当に映画オタクな人!!)をエッセンスにしてバカバカしい話が意味もなく(にみえて)続いていくのです。例をあげれば
若い男女が強盗を企てたりとか
ボスの若い妻(ユマ・サーマン)と一晩だけデートを命じられたギャング(ジョン・トラボルタ!!)の話。ジョン・トラボルタはユマ・サーマンと笑うしかないゴーゴーダンスを踊りまくるし(彼の過去を知っていると泣けてくる)、急性ドラッグ中毒になったユマ・サーマンは胸にぶっとい注射器を刺されて回復するし。という話や
そのギャングのボスに八百長試合を約束を請け負うボクサー(ブルース・ウィルス)は約束を破って恋人と逃走する話では、さっき書いた通りブルース・ウィルスは日本刀を振り回し、その武器屋のにいちゃんは実はホモでギャングのボスのおかまをほっちゃう話や
車の中でピストルが暴発して血の海となった車を処分する話では、ハーベイ・カイテル(渋い!!)が掃除屋だったりとか
…これらが実は全部つながっている一つの話なんですけど、どうつながるか想像つきます? 僕、始めてみた時本当に全部一つ一つのオムニバスだと思ってましたもの。あまりにも脈略のなさすぎるストーリ展開の連続で。
いっている意味がわかりたかったら、ビデオで見て下さいな。90年代最大でチープなのエンターテイメントショーですから。
ちなみに、アメリカでクェンティン・タランティーノ プロデュースのテレビお笑い番組っていうのを見たんですけどほとんどレザボア・ドックスの世界。
何やっても最後には全員お互いに銃を向けあって同時にブッぱなして終り。何考えているんだか。ほんとタランティーノって。