Cinema Review

コックと泥棒、その妻と愛人

監督:ピーター・グリーグナウェイ
出演:リシャール・ボーランジェ、マイケル・ガンボン、ヘレン・ミレン、アラン・ハワード

’89。イギリス、フランス。フランス料理店に傍若無人の泥棒、その妻、そして教養のあるその妻の愛人という客が現れる。無口なコックを交えてそれぞれの複雑な思案の中で物語が展開する。

この映画ほど、芸術的で退廃的で甘美で感能的で難しくて単純な映画を僕は他に知らない。僕はこの映画を愛してやまない。

物語は一週間の退屈な時間の中で、あるフランス料理店の店の中で何人かの登場人物の心情だけが複雑に変化していくというストーリである。ストーリの筋は結構単純であるが、主題はそのストーリがおりなす複雑な登場人物の心情変化にある。この映画の特色は心情の変化を色彩と音響効果と演技だけで全て表現するところにある。映画の最初から最後までレストラン以外のシーンがない。映画というより演劇の世界に近い。なぜ映画でそんなシチメンドクサイ表現方法をとるのか? それはP・グリーグナウェイだからと言ってしまえば身も蓋もないが…。

ダイナミックなカメラワークや合成やCGなどの加工をいれて表現の補助をすることは逆に言えばそれを加えなければ誰も興奮しないチンプな映像だからだ。彼は限られた条件の中で最大限の表現を模索して、ついに表現の究極を世に提示した。それがスキャンダラスなこの作品『コックと泥棒、その妻と愛人』である。もはやこの作品は既存の芸術の域を越えた。

この映画のカメラワークはレールの上でカメラが横に移動するだけだが、しかもシーンはレストラン店内、廊下、厨房、搬入口の外、冷凍庫、トイレぐらいしかない。それらのシーンは固有の色を持っている。例えば店内は赤で厨房は緑、レストランの外は紫というように。レールワークで部屋が切り替わるたびに大げさなぐらい劇的な音楽が流れ些細な事件が起こる。それは次第に些細ではすまなくなり、もはや登場人物が一手一挙動で何を考えているのか手にとるように分かる感情表現と変化していくのである。見事としかいいようがない。ちなみに各登場人物はほとんど自分の心情を直接的に言葉によって表現しないので、本当に映像効果のみでこれだけ複雑な心情表現をしているのである。まさに芸術映画の極みといって過言ではないだろう。

この映画は映像美を求めた故の究極の傑作といってもいい。この映画の映像美とは結局心情の象徴となる色そのものなのである。だからこの映画は映画としても完成度が高い。まるで、マレーコビッチの抽象画の世界のようだ。

この映画の好き嫌いは激しい。分からん人は分からんだろう。

Report: Akira Maruyama (1996.05.06)


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