1920年代の南京で、日本人の作家と中国人娼婦が出会う。ただひたすらに基督(キリスト)を信じる女と、現実に苦しむ作家の男は愛し合うが、しかし幸せは遠い。
いや全く不純な動機で見てしまった。富田靖子がヌードで出ている予告編を『水の中の八月』の時に見てしまったのだ。しかし作品は結構良いものだった。
勿論レオン・カーフェィが中国語で台詞をしゃべって、筆書きで思いきり汚い字で日本語(ひらがな)を書き、富田靖子がどうやら全編吹替えと思われる流暢な中国語で全編通していたり、そこはかと無く違和感が感じられるのは確かだ。
しかし僕は一途で破滅的なストーリーに惹かれた。それから富田靖子が良い。一体今何歳なのか知らないが、娼婦だがまだ幼さと清楚さと基督を信じる純真さが同居している女を演じている。この年の東京国際映画祭で最優秀女優賞を得ている。
それから撮影が面白い。詩的と言うのだろうか、独特の色彩と映像が僕は気に入った。ステディカムだと思うが、流れるようなアングル移動を多用している。
純真さは狂気と等しい。純真さが彼女を狂わせて行く。男は女と別れて日本の妻のもとに帰るが、苦悩の末に死を選ぶ。「人生は死へ向かう闘いと心得よ、それに負けたときは自ら死すべし。但し父のごとく誰かに迷惑を掛けて死んではならん。」だそうだ。この作品の原作は芥川龍之介の『南京の基督』と彼の自殺直前の心象風景を描いた『歯車』を合わせたものとチラシには書かれている。