Cinema Review

耳をすませば

監督:近藤 喜文
声:本名 陽子高橋 一生

中学生の少女に好きな人が出来る。未来に向けて努力している少年に置いて行かれそうで、彼女は自分の可能性を試そうと努力する。

監督は近藤喜文だが、プロデュースは宮崎駿だ。実際の製作はスタジオ・ジブリという事で、良くも悪くも宮崎駿の色が濃い作品となった。

作品中で流れる主人公が訳詞したという『カントリー・ロード』を主人公が歌うのだが、この声が素晴らしく良い。伸びやかで耳に心地良い。作中ではカントリー曲に相応しくアメリカンバイオリン(と言ってもバイオリンそのものは同じで弾き方だけでアメリカンになるんだそうだけど)とバンジョーみたいな楽器で何人かで合奏している中で明るくリズミカルに歌うのだが、僕はこの作品の予告編で聞いた、伴奏も何もない中でコーラスも何も掛けずにただ声だけを聞かせるように流されたのが忘れられない。この伸びやかな声を何の障害もなく聞けたのだ。

内容的には何と言うか、何と言うこともないものだ。スケールは小さい。『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』などの別世界を借りた物語ではなく、どこにでもある、特に東京をモチーフにしたと思われる現実世界での物語だ。登場人物も極めて少ない。しかも誰彼がこんな事をしてという動きはほとんど無く、心の動きを描いている。ただひたすらに少女の、少年の前向きの心をまっすぐに描いている。
現実世界とは言っても作品には頭ごなしに怒鳴る親のような無理解な大人は登場しないし、解決不可能などうしようもなく暗い人間関係も描かれない。そんな事を飛ばして素直な少女、明るい未来、前向きの心を描いている。宮崎駿は『となりのトトロ』を作ったとき「子供達に否定的なものを見せても駄目だ、肯定的なものを、心が躍るようなものを作るんだ」と言っていた。この作品はその延長にあるのだなと僕には思える。

僕はまっすぐに生きているか?シニカルな笑いと共に暗い未来に勝手に納得することで絶望と希望から心を遠ざけてはいないか。主人公の少女は先へ先へと進んで行く少年に較べて自分が何も出来ないと落ち込んでいたけれど「やってみれば良いんだ」という結論を得て自信を持つ。結果ではなくやることこそが重要なのだと。僕はやるべきことをやっているか。力を尽くしているか。頑張れ。

Report: Yutaka Yasuda (1995.08.20)


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