Cinema Review

戦慄の絆

Also Known as:Dead Ringers

監督:デビッド・クローネンバーグ
出演:ジェレミー・アイアンズ

外交的な兄と内向的な弟の一卵性双生児。彼らは優秀な外科医だったが、同じ一人の女性に惹かれて行く。その過程の中でお互いのバランスが崩れて行く。

クローネンバーグ映画の中では『デッド・ゾーン』には及ばないまでも、比較的普通に見られる作品だと思う。

この作品ではひたすらジェレミー・アイアンズ(クローネンバーグは後の『M.バタフライ』でも起用)の演技が光っている。二役なのだが、公開当初はこの二役の合成が余りにも見事なのでそればかりで話題になった。クローネンバーグの映画ではこの種のことがよくある。『スキャナーズ』でもアタマが爆発するシーンばかりが有名になった。しかしこの『戦慄の絆』は映画の出来そのものでもっと評価されてもいいと思う。有る意味ではクローネンバーグがデビューの時から追い続けているテーマが一番うまく表現できているように思う。
ただ余り人に薦められるものでないことは確かだ。全体に暗いイメージだし、何より救いが無い。

一卵性双生児でありながら正反対の性格を持つ二人が、一人の女性に惹かれて行く過程で衝突し、お互いの心のバランスを崩して行く。つまり二人は常に同期して、バランスして存在してきたのだ。弟が心の弱さから薬に溺れてしまうが、それと同期して兄の心のバランスも崩れて行く。そして弟を「救ける」為に兄も薬を使い、お互いの心の奥底で結び付こうとする。心の奥底にお互いの共通核が、彼らにとっての真実があるように僕には見える。
そして立ち直ったと思いきや、今度は兄が薬に溺れてしまう。弟は兄を救けるために自ら再び薬を試し、「兄の居るところ」へ落ちて行く。

思うにクローネンバーグは「心の奥底で他人と結び付く」という事を言っているのではなく「心の奥底にある自分の真実を見つけよ」と言っているだろう。自分と心の奥底のもう一人の自分、それを双子という形で表現したのだと思う。心の奥底に潜む自分には知ることの出来ないもう一人の自分。闇。真実。本当の自分。
それを薬を使って落ちて行く事で見つけようと言うわけだ。自分の中に落ちて行くのだ。(『アルタード・ステイツ』では瞑想タンクと薬を使って落ちて行く!)

原題は『Dead Ringers』。Ringer だからベルを鳴らす人、だよね。僕には良く判らないけれど、致命的なほどに共振するもの、響き合うもの、というようなイメージに取れる。今にして思えばこの映画のラストシーンにぴたりと符合する。悲しい結末だ。

ところで僕の偏見かも知れないが、西洋人は薬を使う事などに殆ど抵抗を感じていないように見える。つまり薬を体の中に入れて自分の体をコントロールできると思っているように見えるのだ。僕は少なくとも生き物の体はそんなに簡単なものではないと思っている。自律型でバランスを取るようになっているために、あれほど複雑で混沌としたシステムを組み上げてしまったのだ。下手に一方をいじってしまったら、必ず別のところで歪みが出る筈だ。
東洋人はそのことを良く知っていて、東洋医術は全体のバランスの歪みを直せば体は健康になると言うポリシーに基づいているように思う。だから体に薬品を入れることをそもそも好まないのではないかと思う。
医療関係者が薬に溺れがちだと言う話を聞くこともある。(西洋医学をひたすら実践しているからか?)医療関係者に限らずこの作品で見られたような薬品への依存と言うものは案外身近なのかも知れない。

Report: Yutaka Yasuda (1995.05.26)


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